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自分自身のための記録たち

きっと自分しか感じない

30歳になった。今思えば学生の頃小説をせかせかこつこつよくもまあ飽きもしないで書いていたなと思う。別に文章能力があるわけでもないし誤字脱字は当時からひどいし、他人から見れば別に面白くもない話ばかりだったと自負がたくさんあるのだけど、それでも私は文章を書くのが好きだった。見直せば「別におもんねえ」っていうのもあったけど自分の書きたいものを書けるスタイルっていうのが面白いし自分の思いついたネタは当初流行っていたサイト間では見られなかったものしかなかったから私だけは面白いと感じていただろう。

冒頭の30歳になったに戻るが、あの頃は私は地獄の窯の中にいたと思う。家庭が嫌いだった。

長女で、小さい頃から妹や弟の面倒を見てきて、それでいて自分が虐待の対象にならなくなってから、3歳の弟が父親にグーで殴られたり、小学校に成長してから背中を思い切り蹴られたりしたのを見てきた。真ん中の妹はない。私が理不尽に怒られているのを見て学んだんだろう。ただ、他人とあまり関わらない人になったが、それは私と似ているし、正義感も私と似ているものを持っているが逃げる事は思えばしない子だった。うまくその場を切り抜ける、不必要に父親とは関わらないのだ。妹自身も自分はあまり怒られないなと感じていたと思う、その分私と弟が怒られているというのは感じているんじゃないだろうか。

弟は私が大阪に来るまで自分の部屋がなかったから、とても心苦しい生活だったろうと思う。高校まで携帯を持たせてくれない家庭だったので、自分の時間だったり自由な時間だったり、十分なお小遣いさえもらっていないから本当につらかったと思う。その分反動で今は好き勝手しているらしいが、まあ仕方ない。あとはもう自分で学ぶしかないのだ。社会人になれば嫌でも分かるから、あなたが大人になったら離婚するかもしれない実家を目の当たりにしてどうなるかは、本人次第だという他なにもアドバイスなんて思いつかない。参考にできる男が父親じゃなくて残念だった。本当にそれだけ。それを反面教師にするといい。

妹の事は触れていないが、うまくやっていけると思う。

私の身体が成熟し始めたのが小学3~4年生だったと思う。小さい頃から骨太でふくよかだったから、胸のサイズも周りよりも一回り大きかった。当時、父親の「お前お腹出てないんだな」という発言を思い返し、そして何か家族でじゃれ合い?みたいなものをしている時に、後ろから、そのたくましい太い腕が胸に当たるようにしているのを考えると私は性の対象として見られていたのがわかる。その時から父親はただ怖い人という認識だけだったからよく遊びに出かけていってたし買い物にもついて行っていた。だから私はかわいい娘だったのでは?と思う。

当時、父親が後ろから腕を回して胸に当ててきた事、「お前はおばあちゃんに似て胸が大きい」と言われいた事。結婚した後実家に戻っていったら、腰のサポーターをお母さんにもらった時に旦那がいる目の前で「お前胸がおっきんだから~~……」と言われた事。

グーで殴られた事。テレビのリモコンを思い切り殴られた事。コロコロコミックで後頭部を殴られた事。平手打ちをされて意識が飛びそうになった事。母親の携帯がつかず、実家に連絡したらこっぴどく怒られ、嗚咽を出して泣いていたら「お前のそれ噓泣きだろ。辞めろ。妹はドキドキしたら心臓が早くなって死ぬかもしれない。でもお前にはそれがないだろ。声出してまで嘘泣きするな」と怒鳴られ、頬を思い切り叩かれ、それを見ていたにも関わらず口も出さずに私を見捨てた母親。

母親が浮気、不倫をしていたこと。私に10万をかりて、おろしていたこと。

実家を出て7~8年が経って、父親も落ち着いてきたが、離婚はありえる事。実家にいたのは20年程なので、ここには書ききれないがまあ特に辛かったのは噓泣きだろと言われた事だ。本当に傷付いてそれ以来父親を心から嫌いになったし、多分死んでも泣くのは一日くらいだと思う。別にいたっていなくなって別に、という感じだ。

いやいや。そんなこといって血のつながった父親でしょう?と思うかもしれないし、そう思うのはひどいと思うかもしれないが、本当に、心の底から嫌いな人に対しては本当にそう思うのだ。対象に、旦那が死んだら多分私も後追いするのではというレベルで好きだし、友人が死んだら何か思い出したかのように泣くと思う。特に旦那が死んだら、自分のせいでないのに私のせいだと思うだろう。

そのレベルで私は父親が嫌いだし、その人の周りもあまり好きではなかった。本当に。

とまあなんでこんな前置き長いのなんの話がしたいの?という話になるわけだが、私は小さい頃から面白い子だねと言われてきた。社会人になったら変な子って言われない?と言われた。社会人2年目で、認可保育園100人の子どもを預かる普通に大きな保育園で、0歳児クラスの副担任で鬼と言われていた先生からの一言だった。もしかして面白い子だね、とか、天然ボケだね、と言われてきた事って、このこと?と思い始め、色々と調べ、自分の音に少し過敏な所だったり、忘れっぽい所だったり、集中力がすぐ切れたり、別のところに行ってしまったりするのだったりって、そういう事……???と思い始め、そういえば何だか思い当たる節が多すぎて、今あげてきたものの他に意識していないと空気がひどく読めない事だったり、思いをうまく喋れない事だったり、ひどく緊張してしまう所だったり、変にお調子者だったり、自分が忙しいのは、やっぱりそういう……???となり、慌てふためく保育の毎日が終わって大阪にきて、自分を考える時間が増えて、自分の感情のコントロールができてきたところ、

何かの拍子だった、あまり覚えていないが旦那がガチギレしてきたのが、それが父親の怒る姿に重なって、過呼吸になって、一時間程「ごめんなさい」と連発した。涎も鼻水も、旦那が拭こうとティッシュを突き出してもずっと平謝りで、仕方ないと旦那はティッシュを引っ込めて謝罪をずっと聞いていた。

私は、認めてもらえないと、ひどく怖い思いをする。幼少期、私は両親から認めてもらった事がなかった。だから、他人との劣等感を抱きやすい、敵にしがちなのだ。そして自分が認めている人や好きな人にも「そうだね」「いいよ」と肯定して認めてもらえないと、ひどく怖い、と思ってしまう。だから旦那に自分の非も、この今の状況にも、涙が止まらない状況にも、ティッシュを受け取れなかった状況にもすべてごめんなさいをしないと気が済まないし、それが繰り返されてしまうから「いいよ」と許してくれても、それでも泣いてしまう事に、またごめんなさいとスタートに戻って泣き始めてしまう。

これは本当に、小さい頃の経験がそうさせてしまっているのは言うまでもない。虐待を受けた子は、親になった時に「そういう風にしか教わらなかったから」虐待をしてしまうケースがほとんどだ。教わらなかったというより「それしか知らないから」と言った方が正しいかもしれない。学校で習いました、これ。

それを思うと、今の自分を形成してるのは家庭だったんだなと思うわけだ。もう少し賢くて、私を適切に大切にしてくれる両親だったら、私はもう少しだけ他人に優しくできただろう。私は優しくされた記憶が本当に少ない、あるのは友人の家庭と父親のいとこくらいだ。毎日の小さな優しさも大事かもしれないが、大きな優しさと勇気を私は与えられてこなかった。子どもだから、というのなら子どもだからもう少し、もう少しだけ優しくしてほしかった。私はあまり人の感情を感じにくい子だったと思う、だったのだからもう少しだけ。と幼心に思ってしまう。でも子育てに正解はない。だからこれは本当に小さな声で、もうこうなってしまった以上仕方ないというしかない。もう後戻りはできないし、これがもう自分なのだから、他人に厳しく自分に優しい自分でいる以外ない。許してほしい、優しい言葉を本当に欲しい人からもらった思い出が本当にない。自分もどうしたらいいか分からない、その時になったら幼い子どもになってしまうのだ、30にもなって。でも、現実の話で実際問題そういう人はかなり多いのだろう。だから私は対峙した人間に対して第三者であるのとその友人、関わりのある人物とした二つで考えるが、結構第三者視点でものをいうことが多い。多分そうやって今まで考えてきたのだろう。

はあ。生きづらすぎるでしょ。この辛さ、自分にしか分からないっていうのも辛いし、そもそも辛いっていう気持ちは自分にしか分からない感情だ。もちろん他人に対してそれって辛いなと思うけれど、実際問題、その当事者にしかない辛さってあるもので、他人は申し訳ないけど分からないんだよね。保育実習の時車に轢かれたいって横断歩道で信号待ちをしていたあの毎日の時間思ってた。実習だよ、と思うでしょ。14日間で、A3の実習記録を枠内に小さな文字でびっしり書いて3時に書き終わって手元にあるのがA3用紙4~6枚、3段階ある実習の指導案、製作の道具を作るために土日献上。轢かれて実習をおじゃんにしたかったんだよ。社会人になれば普通でしょ?でも当時、きつかったんだよね。仕方ないっしょ、思っちゃってたんだもん。飛び込まなかったけどさ。

で、今わたし、辛いわけよ。この間も自分がいけなかったんだけど別にそんな怒らなくていいじゃんと思いつつ思い出してしまって過呼吸になって涎鼻水が枕と枕元に池作ってんの。それ見て子どもみたいにビエビエ泣くわけ。「アーーーーー」つって泣くんだよ。傍から見たら面白いし今自分でそれを思い出しても面白いんだけど、辛いんだよなあの時。きっと自分しか感じない。どうしたってもうそう思ってしまうんだから仕方ないんだよ。

今手元に保険証がないけど、きたら病院でも行こうかと思っている。でもその時ADHDだったり、そういうものだったら受け止めきれるか不安だな。それもあってずっと行けなかったから。でも自分を知るにはいい機会かもしれないし、それを受け止めなくてもいいんじゃないかと思うし、別にそんな大したことでもないんだよなとも思う。どれがいいんだろうか、結局受け止めなければいけないのは自分だし、支えてくれるのは傍にいる人だけど、でもその踏ん張る足があるのは自分なんだよね。

最近、鞄をなくしたかもと探し10分で見つかったけど、もう鞄すらなくす自分に嫌気がさした。横になって一点だけ見つめていた。昔は、こういう時文章にしていたなと思い出した。文章を書いて現実逃避、嫌な気持ちをそこで吐き出していた。好きなものを好きなだけ書いていた。

家族に思うことは私のエゴでしかないけど、それは確かに自分の思いでもある。別に否定されてもいい。だって私もその人の思いを完全に理解することは難しいから。だってそれはあなたの経験上からですよね、私その経験したことないんで、すんません。(ペコ)てなるだけ。その時の胸のバクバク、つらいんよ~~~~~~!!!!て感じ。胸がね、恋とは別にぎゅうううううううってなるの、心臓圧迫されるわけ動脈静脈の運動が~~~~~つって。

まじ実際こんな感じでその場を乗り切るしかなかったんだわ。

文章にしたら落ち着いた、やっぱり文字にするのっていいよね、夢小説のリハビリにでもと思って書いたけれども、記録することはいい事だと思うので、やっぱり何かしら文章にしたいと思います。なかなか気持ちが今落ち着かないけれども、少しずつ落ち着けていけたらいいなと思うわけです。生理前の情緒が本当に月によって違いすぎて大変。昔は物に当たっていたけど、今はメンタルが爆下がり。先月からなんだけども顔のおできがやばくて顔がぼっこぼこ。まあ、そういう時もあるよね、仕方ない、受け入れるしか。だってもうこれが自分なんだもん、とりあえずぐっちゃぐちゃな気持ちを滑らかにしていくことに専念するしかない。

 

ちなみに嘘泣き事件、妹が緊張すると心臓バクバクして死んじゃうかもしれないとか言ってたけど

お前のせいやろが~~~~~~~~!!!!!!!!!